雪は過去への扉へと誘う ( No.48 )
日時: 2008/01/03 15:23:41
名前: Gard
参照: http://watari.kitunebi.com/

 死んでいるのに生きている。
「…………………………………………ど、ういう事だよ、それ…………」
 それはつまり。
「言葉通り。……私の方が、知りたい」
 それは、つまり。
「あなたから、生命の流れが堰き止められている、感覚がするの」

 オレは、ララと、同じ――――――――?

 酷い目眩がした。
 思わず額に手をやるが、それで治るようなものではない。更にぐらぐらと視界は揺れ、オレの身体は椅子から床へとずり落ちた。
 否、椅子が倒れた所為で身体が床へと放り出されたのだ。
 床に身体を預けながら自分の思考に愕然とする。何故いきなりララと自分を同列に扱うのだ、と。
 コムイから聞いた、新人であるアレンとユウが組んで行った任務。そこでイノセンスの奇怪として自我を持ち、動いていた人形。
 何故それと、イノセンスの適合者、エクソシストである自分を同列に扱うのだ、と。
 けれど同列に扱ったのは自分で。何故、何て疑問が紡げなくて。
 第一、口を動かすほどの力が入らなくて。心の中ですら疑問をぶつけられなくて。
 それぐらい、動揺してしまった。
「大丈夫?」
 焦りを含んだ声がして、ハルカがしゃがみ込んで顔を覗き込んでくる。
 今までほぼ無表情だった顔は少し歪み、ほぼ無感情だった瞳に気遣わしげな色を浮かべている。
 大丈夫、だなんて、口が裂けても言えない状態のオレはただただ彼女を見るしかできなかった。
 そっともう一度伸ばされた手は、今度は頬ではなく額に触れた。
「…………ごめんなさい。言わなければよかった。気付かなければよかった」
 とても申し訳なさそうな声音に、こちらが謝らなければならないような気分になる。
 ハルカは悪くない。謝る必要なんて無いのだ。そう、言わなければいけないはずだった。
 けれど口すら満足に動いてくれなくて。
 何かがNGワードにでもなっていて、それによってほぼ全ての機能が停止してしまったかのような錯覚に陥る。
 それこそ自分を機械としてみているようなものだ、と思い直そうとした。
 額にただ触れていただけのハルカの手が動く。
 さらり、と額に掛かったオレの髪を梳き、ハルカは囁いた。
「少し、眠るといいです。…………目を覚ましたときには雪、止んでるから。村の南にある丘の上に来て」
 もう一度だけ髪を梳かれると、意識がどんどん遠くなっていくのが解る。
 最後に見たのは、ハルカの姿と、その隣に音もなく現れた蒼い髪の誰かの後ろ姿だった。





 ふ、と浮上した意識に任せゆっくりと目蓋を押し上げると、目に飛び込んできたのは天井だった。今自分が泊めて貰っている屋敷のものである。
 何時の間に誰が運んだのかは知らないが、オレの身体はベッドに横たえられていた。
 まだ怠い身体を無理矢理に起こす。瞬間、酷い目眩にもう一度ベッドへ戻されそうになった。
 何とか踏ん張ると、視界に黒い髪が入り込んでくる。
 はて、「キト・ザライカー」は灰色の髪ではなかっただろうか。それに、簡単に視界に入るような長さをしていなかったはずだ。
 そろり、と髪に手を伸ばす。
 どう考えても膝下程まで来るだろう髪の長さに頬が引き攣る。
 何時の間に自分はイノセンスの発動を解いていたのだろうか。普段ならば寝ている間も維持するというのに。
 考えても仕方がないのでイノセンスを発動させ、元の「キト・ザライカー」の姿に戻すとベッドから立ち上がって窓へ近寄った。
 意識を失う前に聞いたハルカの言葉通り吹雪は止んでおり、綺麗な青空が雲の切れ間から覗いて見えた。
 恐らくあの吹雪はイノセンスの奇怪なんかではない。
 ハルカがこの街の――――嘗ては村だったのだろうけど――――人が無闇に怯えないように起こしていた「警告」だったのだ。
 「自分が現れるから、恐ろしいと思うなら外へ出るな」という。
 何となく理解して、オレは苦笑と共に荷物を軽くバックパックに纏め、部屋を出る。
 廊下を暫く歩いていると、屋敷の主である青年にばったり出くわした。
「ファインダーさん。どうかされたんですか?」
「いえ、雪が止んだのでイノセンスがないかどうか辺りを探索しようかと」
 嘘八百だ。
 本当はハルカの言葉に従うつもりなだけである。
「そうですか。気をつけて行ってきてくださいね」
「お気遣い、ありがとうございます」
 頭を下げて一礼すると、オレはそのまま玄関へ向かい、屋敷から出る。
 確か村の南と言っていたはずだ。
 南の方向を向くと、オレは歩を進め、丘を目指して歩いていく。
 それにしても、白銀に染め上げられたこの街は綺麗だった。
 差し込んでくる陽射しが降り積もった雪に反射し、きらきらと輝かせる。
 屋敷など、温められた場所の軒下には氷柱が出来ており、その透明度の高さがまた光によって輝く。
 人々はまだ出てこない。白銀の世界に一人きり。
 静かで綺麗なこの時間を独り占めしているようだった。実際、しているのだが。
 慌てることなく、けれどゆっくりでもない歩調でオレは丘への道程を歩いていく。
 やがて見えてきた白銀の丘の上に、しっかりとハルカはいた。
 無責任な発言をしたりはしないだろう、と思っていたオレは、自分の人を見る目に少しだけ嬉しくなる。
 雪を踏みしめながらハルカの下へ行けば、ふわり、と少女が微笑んだ。
 その微笑にどきり、と胸が高鳴る。

 透明な笑み。純粋で、真っ直ぐで、穢れを知らない微笑み。

 オレにはそう見えた。
「……来てくれて、嬉しい」
「来て、と言われておいて行かない、なんてさ。かっこわりーじゃん」
 苦笑しつつ肩を竦めて言えば、ハルカは少しだけ眼を細めた。
 ふわり、と風がハルカの髪を揺らす。
 雪の白銀とハルカの髪の銀が眩しかった。
「…………キト」
 ハルカがオレの名前を呼んだ。
 促すように視線をその蒼い瞳へ向ければ、ハルカはその右手をつぃ、と持ち上げ、オレの心臓の位置を指さす。
「私は知りたい。あなたが何故死んでいるのに生きているのか」
 哀しい理由で、他の人間にも同じ事が起こるならば、断ち切らなければいけない。
 そう呟いたハルカは瞳に哀しげな色を宿していた。
 彼女は表情よりも瞳に感情を宿すことが多いタイプらしく、その表情は笑みが消えた無表情だった。
 第三者から見れば、ハルカは冷酷な人間に見えるかもしれない。無表情でそんなことを言っているのだから。
 けれどオレはハルカの瞳をしっかりと見つめていた。
 見つめていたから、彼女の心情が少しだけ解った。
 きっと、自分が言ったことが起こって欲しくないと思っているのだ、この少女は。
 ああ、何と優しいことだろう!
 ユウにハルカの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。能力は受け取らなくていいけれど。
「………………オレも、知りたい」
 ぽつり、と呟いた声は雪へと落ちていった。
 自分で思ったよりも小さな声が出たことに、自分で一番驚く。
「……オレも、知りたい。本当にオレが死んでるのに生きてるのか。何でこんな事になってるのか。断片化したこの記憶は何なのか」

 蹲る。抱き上げられる。迎えが来る。落ちてくる。――――――――紅、が。

「なら、手を取って」
 ハルカが改めてオレにいつの間にか下ろしていた右手を差し伸べた。
「キトが忘れていても、世界は忘れない。世界はたまに記憶と記録を消してしまうけれど、それでも世界自身は忘れない」
 その白く細い、女の子らしい手にそっと自分の、「キト・ザライカー」のごつごつした手を乗せる。
「だから、見に行きましょう」
 強制的にイノセンスの発動が解除された。風が巻き起こり、ハルカの短い銀髪とオレの長い黒髪を巻き上げる。
「世界の記憶と記録を」

 世界が、暗転した。

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